なるほど日本 第45話 邪馬台国の謎 九州にも畿内にも両方存在した!?卑弥呼=アマテラス!?

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  • Опубликовано: 29 окт 2024

Комментарии • 24

  • @実松-q4g
    @実松-q4g Год назад +9

    うずまき を拝聴させて頂きながら
    日本神話 神道 を学んでおります
    また 心地いい語り口調 音楽は
    癒しでもあります💕
    次回の配信も心待ちにしております

  • @tokoko-dp4li
    @tokoko-dp4li 11 месяцев назад +1

    動画を楽しみにしています。新たな発見もあって、ハッとさせられます。
    忌部色不知の色の字に、忌部は物部になったのか?と思いました。物部は饒速日と一緒に天下った家来たちのことのようですが、静岡に物部地名が多くて、気になってます。
    邪馬台国は、結構広くて、霊能者の方で、新潟辺りまであったとおっしゃってる方もいました。三つの勢力の輪で三輪ですしね。
    百襲姫はフェニキア系公孫氏で、扶余王仇台(神武。フルリ人)と結託して日本に入ってきたという説もあったりします。出雲口伝では、神武=天村雲命ですね。
    その頃、公孫氏が遼東半島まで来ていて、朝鮮半島に影響を与えていたようなので、ありうる話かなと。出雲(倭国連合)は大陸と交易をしてたようで、公孫氏の半島支配で出雲という港が使われなくなって、急激に出雲が衰退したなんて話もあります。
    出雲口伝では、狗奴国は、大彦がらみで東にあり、遠江に久奴国や駿河に安倍川があったりして、あの辺からでは?との説も。
    海佐知毘古の子孫は隼人になったと言われますが、饒速日など、ハヤの字が付く名前は隼人絡みかなと思ったりします。
    饒速日とニニギはニギ氏で同族という話もありますが、饒速日の方は隼人系なのかも。
    ホツマツタエだと、コノハナサクヤヒメが生んだ三つ子の一人がホアカリで、尾張氏系。中部には伊勢もあるし、ホツマの男神アマテルと瀬織津姫の拠点で、一大宗教都市だったり、熱田神宮の草薙剣=天村雲剣で、天村雲剣=南十字星という話もあったりします。
    色んな説を聞いて、考察して、一つに繋げるのは面白い作業です。

  • @古屋公夫-s9s
    @古屋公夫-s9s 2 месяца назад +1

    邪馬台国はヤマト国と発音して現在の奈良県を指しています。
     当時の奈良県では崇神天皇。中心として政治を行い、女王卑弥呼は祭祀を行っていました。
     つまり役割を分担して共に立っていたのです。

  • @pino2747
    @pino2747 Год назад +3

    1:42あれ?旧皇族華頂宮チャンネルでは「八洲(やしま)」って言っていました

  • @magatama6669
    @magatama6669 Год назад +7

  • @yuichi8167
    @yuichi8167 Год назад +2

    300年代の歴史はすっぽり抜けてるみたいですが、その年代の古墳が阿波、讃岐にも沢山ある事実、、、

  • @asa01053
    @asa01053 4 месяца назад

    トヨです😂

  • @sempojp
    @sempojp Год назад +3

    色々邪馬台国論争を見ると、古事記、日本書紀の編纂期の朝貢隠ぺい説が密接に絡みついてますよね。ここらの考察、と遺物との整合性を無視して文章だけで読み解くのに無理がありますね。
    古いけど、弥生時代と古墳時代の狭間なので、真実が伝わっているかは別にして、口伝が残っていないのは考えられないように思うのですが、ここらの考察を無視すると、どんな説も成り立ってしまう・・・。

    • @qpjvision
      @qpjvision  Год назад +5

      そうですね!
      今回は記紀を中心としたお話しでした。
      ご存知の通り記紀をはじめとする歴史は勝者によって作られたものです。
      ここからは口伝や各地の古文献(歴史上は偽書とされている)物を中心に考察をしていきたいと思います。

  • @asa01053
    @asa01053 5 месяцев назад

    天下り、関東から九州へ天孫降臨、そして関西へ。

  • @mecom3450
    @mecom3450 Год назад +3

    5:30
    卑弥呼が殺されたとすると、その後の天皇家のアマテラス=卑弥呼の扱いが納得出来ます。
    ただし邪馬台国は四国だと思います。辰砂採掘が根拠のひとつです。

  • @越田信行
    @越田信行 10 месяцев назад +1

    ソースは?

  • @toshirouhorino
    @toshirouhorino Год назад +2

    「女王国 東渡海千余里 復国有 皆倭種」。この件りは、卑弥呼が親魏倭王を拝命した239年よりあとの条に書かれている。
    よって此処の「女王国」は親魏倭王の国、則ち倭国全体を指す。事実太平御覧倭国伝では「倭国東渡海千余里」と改められている。
    つまり、倭国と倭種の国は千余里の海で隔てられていたので、倭国は九州島、倭種の国々は中国四国近畿方面と確定した。
    畿内説、邪馬台国連合説はナイナイ。

    • @katumoku10
      @katumoku10 23 дня назад

      倭地温暖で冬も夏も生野菜を食べて裸足で生活できる。畿内やそれ以東では該当しないようです(;^ω^)
      九州が倭国ですから、東側が海で約一千里渡ると陸地があり倭人が住んでいるとあるのは、周防灘沿岸部で瀬戸内航路の起点の宇佐のことを言っているようです。
      そして卑弥呼の径百余歩の急造りの冢を宇佐市安心院町下毛で発見しました。三柱山古墳です。弥生後期から古墳初頭の集落で、三女神社が卑弥呼の宮室でしょう。西側のV字溝で護られています。南側は断崖になっていて要害堅固な山城です。詳細は「邪馬台国は今、ブドウ園?」をご参照ください(#^.^#)
      blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/017906280fc8d6b9d4deb1569473811f

  • @masamasaict7312
    @masamasaict7312 10 месяцев назад +1

    邪馬台国について記紀をいくら調べても皇統にしかたどりつかない。呉服について誰も語っていない。是非、調べて。九州はそもそも長江流域から人や文化が入っている。出雲や越、常陸国=日高見国、東北が連合として女王国になり、この範囲だから大月氏国と同格だった。その後、馬を持ってきたヤマト政権が平定していった。あと、沖縄説は面白い。ギリギリ年中裸足でいられる。アマミキヨ族なら範囲は広大だし呉に対してにらみを利かせられる。とにかく九州や四国では範囲が狭すぎる。

  • @user-tikyuboueigun
    @user-tikyuboueigun Год назад +4

    間違いだらけだとおもいます…

  • @浅見広明
    @浅見広明 9 месяцев назад +2

    記紀と云う古文書を基にするのはムリな話です。記紀は大和朝廷が天皇家と朝廷を正統化するために都合の良い口伝を聴き取り調査の上で口述筆記で編纂した史実とは言えない神話です。
    ですが、この口伝は史実に無かった事は語られる事は無かったが、朝廷に都合の良いように出来事を使われたとみるべきです。
    さて邪馬台国ですが、朝廷の所在地周辺エリアであれば、隠す必要の無い国で朝廷の臣下と記すれば良いだけの扱いになります。なので最近勝手に盛り上がりをみせる阿波も同様です。阿波には縄文人のゲノムを持つ現代日本人が皆無に近いほどいらっしゃらないので、阿波説を唱える根拠に遠い現実にあるとも言えます。
    邪馬台国は縄文人が中心の国なのか、渡来人が中心の国なのかで変わってくると思われます。九州であれば渡来人、学説に反する説の東日本に在ったら縄文人でしょう。記紀に載せないと云う理由付けをするならば、東日本にあった方が矛盾がありませんが、大和王権を構成する連合国は、鬼界カルデラ噴火によって不安定な情勢となった西日本をまとめるために立ち上がった東日本側の有力国の連携が必要となると思われるので、東日本の縄文人の国ではなく、九州北部に中国から逃げ込んできた者達の国と考えるべきかと思っています。そして邪馬台国は出雲から監視や圧を受け、追い出した九州南部の熊襲とも対立関係にあったと考える。

  • @toshirouhorino
    @toshirouhorino Год назад

    唐津東南500里の伊都国は佐賀市大和町川上、その東南100里の奴国は佐賀県庁辺り、伊都国の東100里不彌国は吉野ヶ里。
    つまりこの三国が、佐賀平野に「倭人伝トライアングル」を作ってる。
    記紀なんかいらね、地誌とグーグルで簡単に解ける。